
ミンガラーバー!
(ミャンマー語の挨拶)
オーハウンネー!
(パオ語の挨拶)
私たちは国際協力活動をさせていただいている中で、ミャンマーの人々から学ぶことの方が多いと感じています。ぜひこの機会にミャンマーについて、少数民族パオ族について知っていただけましたら幸いです。
ミャンマーってどんな国?
面積 | 68万平方km(日本の約2倍) |
人口 | 5,141万人(日本の約1/2) |
首都 | ネピドー(元首都:ヤンゴン) |
民族 | ビルマ族(約70%)、その他135の少数民族 |
言語 | ミャンマー語(公用語)、その他少数民族の言語 |
宗教 | 仏教(90%)、キリスト教、イスラム教等 |
(外務省ホームページから引用)


人々の生活 | 主食はお米、納豆や豆腐、お新香も食べる |
人々の性格 | まじめで勤勉、助け合い精神を持っている |
人々の娯楽 | 男性:お笑い好き、サッカー、セパタクロー 女性:お笑い好き、おしゃべり、お化粧 |
好きな食べ物 | 1位:カレー 2位:チャーハン 3位:焼きそば |
デート | お寺、湖 |
好きな音楽 | ロック、ヒップホップ |
ブーム | 韓国ドラマ |

ミャンマーの近代史と日本との関わり
西暦 | 主なできごと |
---|---|
1826年 | 段階的にイギリスの植民地に(以降100年以上に亘る植民地化) |
1942年 | 日本が育てたアウンサン将軍を含む「30人の志士」の独立闘争によりイギリスから独立 |
1943年 | 日本による植民地化 |
1944年 | 日本軍によるインパール作戦(参考:「ビルマの竪琴」) ※略奪や殺戮を行った多くの日本兵の命を救ってくれた |
1945年 | 抗日蜂起により日本より独立、イギリス領ビルマ政府が復帰 ※それにもかかわらず、戦後焼け野原となった日本に大量のお米支援 |
1947年 | 少数民族代表と連邦制国家設立に向けて話し合う「パンロン会議」開催 アウンサン将軍暗殺 |
1948年 | 「アウン・サン=アトリ-協定」によりイギリスから独立 |
1949年 | 以降、中国、アメリカ、少数民族、ビルマ共産党、国軍などによる内戦状態 |
1962年 | ビルマ国軍によるク-デタ-、ビルマ式社会主義スタート |
1988年 | 民主化運動、国軍による武力弾圧 |
1989年 | アウンサンスーチー軟禁(以降通算15年) |
1990年 | 総選挙でNLDが圧勝するも、政府は政権移譲を拒否、軍事政権スタート |
1991年 | アウンサンス-チ-女史ノ-ベル平和賞受賞 |
1997年 | ASEAN加盟 |
2007年 | 物価急騰による抗議デモ「サフラン革命」(数千人の僧侶が参加) |
2008年 | サイクロン・ナルギス襲来(死者約14万人) |
2011年 | 民政移管スタート ※東日本大震災の際にいち早くミャンマーより支援が届く |
2015年 | 国民民主連盟NLD政権誕生(政治犯釈放、言論の自由、少数民族和平等) |
2016年 | ミャンマー国軍によるロヒンギャ族攻撃 |
2021年 | 国軍によるクーデター勃発 |

少数民族パオ族について
パオ族の概要
パオ族は、少数民族の中で最も敬虔な仏教徒と言われ結束が固く、長い間自給自足の伝統的な暮らしを守ってきました。
1991年に他の民族よりもいち早く中央政府(当時軍事政権)と平和協定を結んだ民族です。
しかし中央政府は少数民族地域のインフラにはほとんど関与せず、道路・電気・水道・診療所などから保育園や学校などの整備は、ほぼ全て村人が行わなくてはなりません。
- 人 口: 約50万人
- 居 住 区: シャン州南東部
- 自治政府: PNO(Pa-O NATIONAL ORGANIZATION)
- 宗 教: 仏教(ほぼ100%)
- 生 活: 農業(にんにく、豆、とうもろこし、米、煙草の葉など)
- 平均年収: 5万円
- 言 語: パオ語
- 日 課: 瞑想
- 主 食: お米(納豆や豆腐、お新香も食べる)
- 特 徴: まじめで勤勉、明るく温和、助け合いの精神を持っている

パオの人々が大切にしていること(パオの人々から学んでいること)
- 教育がもっとも必要という共通意識を持っている。
- 「子どもは村の宝です!」と胸を張る大人がいる。
- 村全体で子どもを育てている。
- 自分のことより他人のこと。
- 支えあって、助け合って、信じ合って生きることが当たり前の社会。

AFCと少数民族パオ族について
2001年~2020年まで前身団体で20年間にわたってミャンマー北東部シャン州の少数民族の居住区において、村人と自治政府と協働で、村人の組織化による村人主体の国際協力活動を実施してきました。20年間で30村36事業を実施し、約30,000人の子ども達に教育の機会の提供してきました。その事業を継承し、また発展させながら活動を進めて参ります。